しらさぎ荘の記憶⑦ -手放したもの、残り続けるもの-|人吉温泉しらさぎ荘 女将の徒然日記
これまで綴ってきた記憶の、その続きを。

目を閉じると、あの建物は今もはっきりと立ち上がってくる。
形としてではなく、もっと身体の奥の感覚として。
正面の引き戸をガラガラと開ける。
建て付けは決して良いとは言えず、少し重たく、手に抵抗が残る。
その感触まで、今も指先に覚えている。
まっすぐ伸びる廊下。
右へ折れると、湧水池に面した座敷が広がる。
光と水の気配が、静かに混ざり合う場所。

床はところどころきしみ、わずかにたわむ。
囲炉裏があり、襖があり、柱があり、
そこに身を置いたときの重心や温度までもが、
今も体の内側に残っている。
それは、建て直す前の、旧しらさぎ荘の姿。

ここには、確かに人の暮らしと時間があった。
2020年の豪雨。
あの水害を経て、建物は解体を余儀なくされた。
修復という道は叶わず、
手放すという選択をするしかなかった。
それが正しかったのかどうか。
今も、ときどき胸の奥が痛む。
これでよかったのだろうか。
もっと違う道があったのではないか。
答えは見えないまま、
時折、問いだけが静かに残る。
あのときは、立ち止まることが許されなかった。
前に進むしかなかった日々。
失われたものは、数限りない。

柱の傷、床のきしみ。
囲炉裏のぬくもり、襖の向こうの気配。
形あるものだけではなく、
そこに流れていた時間や、
人の気配までもが、
静かにほどけていった。
けれど今、ふと振り返ると、
あの柱の傷ひとつひとつが愛おしいと語っていた大女将の言葉が、
ようやく自分の中に届いてくる。
解体の最中、
会長である父はただ静かに、その光景を見つめていた。
どこか寂しそうな横顔で。
あのときは、そこにある想いの深さまでは分からなかった。
前に進むことに必死で、
前しか見えていなかった。
振り返る余裕もなく、
いろんなものを振り切るようにして、
ただ、進むしかなかった。
けれど今は、
あのとき受け取れなかった想いを、
少しずつ、自分の中で手繰り寄せている。
失われたものは確かにある。
けれど同時に、それは形を変えて、
いまのしらさぎ荘の中に、息づいている。
だからこそ、
あのときの選択も、
いまのこの在り方も、
これからの時間の中で、
受け取ったものを、静かに繋いでいきたいと思う。

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