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しらさぎ荘の歴史
- しらさぎ荘創業当時一代目・高山喜内の個人宅として建築。
その後、約2000坪の広大な敷地内にある湧水池を八つに区切り、鯉と鰻の養魚場を営んだのが始まり。
山深い里に位置する為、タンパク源の確保の目的で鯉の飼育を始めた。
その流れから近隣の湯治宿に鯉料理を納めることとなり、ほどなくして料亭を営む。
当時の本館は二階建てだったが昭和18年の台風により、一度は全壊したものの、元の材木を使い、現在の一部二階建ての再建に至る。
その後、幾度となく水害や台風を乗り越えて営業を重ねてきたが、
令和2年7月の熊本豪雨災害により被災し、壊滅的な被害を受けた。
家屋は全壊、本館ー温泉建屋ー離れ2棟の全てを解体。
令和4年現在、新たな旅館を再建中。 - ●しらさぎ荘周辺の様子(昭和50年頃)
当時のしらさぎ荘周辺には未だ建物が少なく、長閑な田園風景が拡がっていた。
手前の子供は4代目現当主の幼少時代。
- ●お客様ご来館の様子(昭和44年頃)
- ●湧水池の鯉(昭和44年頃)
- ●当時のしらさぎ荘の看板料理だった球磨鍋の由来について
- ●球磨鍋のしおり(表紙)
- ●令和2年7月熊本豪雨災害前のしらさぎ荘